2013年7月22日月曜日

震災ボランティア活動に参加して思うこと(2012年5月頃の文章)


東日本大震災ボランティアについて思うこと と題して1年以上前に書いて投稿するのを忘れていたブログ原稿を見つけました。帰り道のバスで書いていたので乱筆乱文否めませんのとその後、知識が増えたことでご認識だとわかることもあります。ただ、逆に感じたままの偽らざる気持ちが表現されている気がするため、一切の手直しなしで掲載しておこうとおもいます。まさに随想録。


(帰りのバスでのメモ)

 先週、某ボランティア基地を経由し釜石の被災現場にて作業した経験から、知りえたこと、感じたことを忘れないうちに帰りのバスの中で文章にしておきたいと思います。なお、参加以前の震災復興に関する知識、関与度の低さにより、一部の私の認識が実態と異なる可能性がある点、また未だ危険区域として立ち入りが制限されている原発に隣接する福島県についてはここでは言及していない点、の2点を最初にコメントしておきたいと思います。

 まず、初日に感じたこととして、地震や津波で破壊された住宅、インフラの復旧のための直接的な労働力の需要はかなり減ってきているということです。
 
 と言うのも今回我々が訪問した釜石の現場への移動中に旧市街地、住宅地の状況を見る機会がありましたが、多くは更地や土台だけになり、瓦礫は集積所に置かれ他府県からの引取りを待つ状態になっていたからです。また実際に今回我々が担当した瓦礫撤去作業も畑を再生するためのものでしたし、その他の仕事を見ても個人宅からの要請による小規模なものや被災者への精神的ケアなど個人に対する貢献にシフトしているように見えました。

 それが正しいとした場合、肉体労働系需要(ハード系?)に関していうと、行政で対応される部分と資金を払って個人で対応する部分に分けられ、後者を実施する資金力の無い弱者へのパーソナル化した支援の方向で、周知方法を含め工夫できると思ったりしました。

また、上記ハード系よりずっと長い期間(10年以上)必要になるはずの、ソフト系(精神面、専門スキル支援)は、資格の有無、長期滞在など一般のボランティアで賄うのが困難であることから、行う人への資金的援助や、中長期的には会社が専門性の高い人たちを集めた募集と一部教育を行っても良いかもしれません。
 いずれにしても、風化させるには早すぎるし、そうしない為の努力が必要ですから、微力ながら貢献していきたい。また、上記両方とも利用する被災者に分かり易く使い方が周知されているかという点で工夫と努力が必要で、そこがキーになると思います。

 もちろん私が見たのは非常に部分的、断片的なものであり、まだまだ家屋の撤去や公共施設の復旧が必要な地域も有るのかもしれません。ただメディアによる復旧完了、復興へという主旨の報道と符号するようにも思えますし、仮にそうではなくまだまだ建築物の瓦礫の撤去の需要があったとしても、作業効率からみて土木業者が重機を用いて行ったほうがよさそうですから、無理なく無駄なくボランティアするためには、工夫がいると思います。

念のため、1点重要な補足しますと、当初行政が十分に機能しておらず、重機、人員も大幅に不足する中、専門化も含むボランティアが、それを補うどころか積極的に推進したことに大きな価値や意義があったことは言うまでもありません。

その一方、事実として被災地域の瓦礫集積上には引き取り手のない瓦礫が山積し、高齢化が進む住宅街には、この先の資金的な目処や希望を見出せないままに来年初頭までといわれる仮設住宅にお住まいの多くの方、しかも多くの高齢者がいらっしゃるという状況があります。つまり元の安心した生活レベルと取り戻すという真の意味での復興(実は復旧といっても良いとおもいます)には程遠い状態であり、この先も行政だけでは恐らくカバーしきれない、また資金の問題で個人的に対処したくても出来ないケースが出てきているのは想像に難くありません。
そういったことから、震災後1年を経過し、ボランティア活動の転機が訪れているように感じられました。
仮説の域をでませんが、この先数年間のスパンで被災地に入る直接的なボランティア活動が必要とされているはずだが復興の各フェーズにおいて支援内容が変化していく。しかしながら現時点ではボランティア団体もその需要の変化に完全に対応しきれていない。また、参加者も震災直後のイメージのまま現地に入り、ある意味期待値と異なる作業を担当する、というケースも少なくないのではないかというものです。

震災直後から自分の生活すべてボランティア活動につぎ込んでいる人、働きながら現地に赴く人、それを支える被災地周辺の住民の皆様、それぞれの立場で真摯な気持ちで地域のためになりたい、被災者を助けたいと考えていることは明白であり、課題はその時間、労力をどうすればできるだけ、本当に必要な作業に向けることができるのかという事だと思います。また一部のメディアの偏った報道などにより、東日本大震災が過去のものと認識されてしまう事を今回直接的にボランティアに参加したメンバーが、継続的支援の必要性、また復興に必要な対応を経験から想像し、それを周りに広め続ける事が重要になると思います。阪神大震災をみても復興にはこの先さらに数年~10年以上の期間が必要なのは明白です。

さて、最後に自分自身が何をできるか考えてみました。まず一部のボランティアの方のように当活動を最優先にする事ができないという制約があります。これは私に限らず多くの方々も同様だとおもいます。当然それが非難されるべきものではないと思います。


(恐らくその翌週に、別の機会に纏めとして書いたもの)


 あくまで、私が断片的、部分的な経験からであるが、ボランティア団体の方や参加者は、純粋に、どうすれば復興に貢献できるか、現地を見ることでより理解を深めたいといった真摯な気持ちを持っているように感じられた。私は、事前に一部マスコミ、WEB情報での穿った見方を見聞きしていたが、それら恣意的な情報は鵜呑みにしないほうがよさそう。

その一方ボランティアに求められる活動が震災直後から1年余り経過し変化を迎えており過渡期だと思う言い換えると被災者からの需要とボランティアからの供給する内容スキルマインドに一部GAPを随所に感じたボランティア基地での募集内容に無理やり感のあるものが含まれていた市街地住宅地の瓦礫撤去はほぼ完了 etc.

①ボランティア団体で長期間従事している人、②短期的、非定期的に参加する人、③被災地にあり直接的被害を免れた方、がそれぞれの立場を認識し連携することで、より質の高いボランティア活動が可能になると思う。(大前提として行政/一般事業者とのすみわけの課題もあるが)

自身は今回②として、完全に受身で参加した点を反省。次回からは、ニーズに即したボランティア内容を選ぶ、団体に対し、HPとしてニーズに関する意見交換をする、震災が非被災地において風化しないよう啓蒙するなど、今後に向けた貢献ができそう。

肉体労働系需要(ハード系?)に関していうと、行政で対応される部分、資金を払って個人で対応する部分に分けられ、後者を実施する資金力の無い弱者へのパーソナル化した支援の方向で、周知方法を含め工夫できるとおもう。ボランティア利用法が利用者に分かり易く周知されているかどうかがカギになると思う。

今後、10年以上必要になるはずの、精神面、専門スキル支援(ソフト系は、資格の有無、長期滞在など一般のボランティアで賄うのが困難であることから、行う人への資金的援助や、中長期的には会社が専門性の高い人たちを集めた募集と一部教育を行っても良いかもしれない。いずれにしても、風化させるには早すぎるし、そうしない為の努力が必要。微力ながら貢献していきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿