2020年9月30日水曜日

リモートワークを利用した半移住シミュレーション

新型コロナ対策のため、かれこれ半年Work From Homeが続き、まだこの先もしばらく続く見込み。ワクチンが発表され、対症療法としての特効薬とセットで先進国に一巡するあたり、早くても来年初旬までは変わらないと予想。これまでの人生で経験したことのない異常事態だが、千載一遇のチャンスと捉え、自己研鑽の類をいくつかやってきた。ただ、弊害もありなかなか思ったほど前向きな気持ちを保てていない。仕事も妙に効率が上がり以前より詰め込みになって1日の終わりの疲弊感が以前より高まっている感覚。一日外にでず、そのまま翌日8時か9時から仕事をしている平日が数週間続いていた。また、子供たちもWHF,LFM?(Lesson from Home)で自宅に居がちで物理的、精神的な閉塞感も感じなくはない。(妻によると私以外は感じているらしい) ということで、ここに詳細は書かないが、おそらく今しかできない半移住計画を実行した。開始後2週間を過ぎたが、ワークライフバランスが改善し、かなりの満足度。あと半年、結果はまだわからないが思い切って行動に移したことは正解だった。とりあえず、記録として。

2016年8月23日火曜日

心機一転

振り返るとこの1年半ほど環境の変化や忙しさを理由に、プライベートでは、高い目標も立てず、たまに走ったり、ギター弾いたり、楽しい飲み会に積極的に参加するぐらい。日常にメリハリがなく仕事もイマイチやる気がでず腹に力が入りません。と言う事で、好循環を作るために、年末に向けプライベートで踏ん張らないとやれない目標をいくつか立ててみました。

10月の梨マラソン10kmで42分切り(5年前のベストより早くもはや無理なレベルだが)
11月のつくばマラソンで再びサブ4。
ペン習字で5級をとる。来年は3級
西宮でのバンドコンサート同窓会主催
英会話、シャドーイング再開。
TOEIC900超え。
水泳再開。泳力検定1級。

2015年12月13日日曜日



3年3ヶ月ぶりの遠野、釜石ボランティア活動の感想

遠野からの岐路のバスでアンケート記載用の箇条書きにしてスマホに入れていましたが、帰宅してそれを文章にしてみました。数年後に確認するためのメモとして滅多に使わないブログサイトに残しておきます。

(ここから)
調布市、マニュライフ生命、HP共同で実施している遠野、釜石へのボランティア活動への参加は33ヶ月ぶり3回目となります。

直近3年の間に、ツールド東北という復興チャリティイベントで活動で2回、石巻周辺を訪れることはありましたが、実は3年半程前に初めて遠野に行った時にも同じように帰りのバスで感想と空想に近い仮説をブログにメモしておいたのですが、どのぐらい正しいのか、同じ場所で確認したい気持ちを持っていたところにこの案内が社内メールで届いたため申し込んでみました。

(2012年5月の帰りのバスの中で書いたメモ)

今回、雨天だったこともあり労働力としての貢献は殆どできませんでした。
ただ、震災直後からこれを含めた復興支援を継続的に推進しいる同僚であり先輩の市川さんの思いが凝縮されたスケジュールは、これまでの中で最も気付きが多く価値が高いものでした。

まず、今回は、ユナイテッドグリーン、遠野まごころネットという震災直後の復旧フェーズから地域に深く入り込み、そのタイミングで何が必要なのかを考えながら活動 をしておられる団体、またその後のフェーズで子供達への精神的ダメージをアニマルセラピーという形で支援したいと考える三陸駒舎の代表の方から直接、背景、経験、信念お聞きすることができました。
自分には絶対に真似できない行動力、リーダーシップに尊敬しつつも、それを特別視してしまうつもりは無く自分の今後の関わり方に大きなヒントをいただきました。

次に、その皆さんが数年に及ぶ努力が理解され懇意になることができた地元の方とのふれあいの機会をいただきました。

餅つき、限界集落に位置づけられる米通り地区での山の神の祭り参加、お世話になった遠野13区の方から民話を聞く会、諸々、地元の方と飲んだり食べ たりしながら、ざっくばらんな会話をする中で、これまでごく表面的にしか知らなかった現実やまったく新しい事実を認識する稀有な機会でした。

例えば、従来から東北地方に在った少子高齢化・過疎の問題と、先の震災の影響とが相まり、復興に向けて厳しい現実があることは想像していました。ただ、それも一般論でしかなく、今回、具体的に農業により得られる利益、今後の輸入作物との競争が決して甘いものでないこと、後継者、村おこしの課題、など地元の農家の方の会話の中でお 聞きしたりディスカッションする中で、自分の無知、浅はかさに恥じ入る事もありましたが今後の物の見方が変わりました。

今、バスの中で、、最初にこの地を訪れた時のブログを読み直すと、短期的に必要な復旧作業フェーズの後、中長期的にはボランティア活動が専門的、精神的なケアに移行しつつ、期間としては10年 を超える支援の必要性を直感した事はかなり正しかったと思います。
また自身で微力ながら行っている 活動もチャリティイベントによる募金活動にシフトして専門的な活動に金銭的に貢献しているのも的外れではなかったと思いました。

しかしながら、今回、そんな自己満足をしている気持ちではまったくなく、そもそも、そんな机上の空論は多くの人が思いつくわけで、ただ時間のあったバスの中で書いたにすぎないわけです。

実は今回、現場で見て聴く事で新たに得られた知識は、自分の想定範囲を 超えており、まだ自分の中でリンクしきれていませんが、突き詰めると東北にとどまらず実は将来の日本をより良いものとするためのヒントがありそうです。ただ、まだまだ支援が必要だといっている震災復興のテーマに対しあま り発散させるのもどうかと思いますが、一度俯瞰した上で、絞るという方法もありますので一度ゆっくり考えてみたいと思っています。


だらだらと書いてしまいましたが、今後、どのような支援が必要なのか、自分としてどう関わっていくべきか、何がやれるのかを改めて考える良い機会を頂いたこと、またボランティアメンバーとの出会い、再会、一生ものの絆を頂けたことを心から感謝しています。











(本人の許可を得ていないものが含まれますので、もし写真の転載を行う場合はご連絡ください。といってもこのブログ見ている人はほぼ居ないので取り越し苦労か。。)

2015年8月8日土曜日

記録として

「今週末は急に出勤を求められたが元々予定されていた親族と友人とのイベントを優先する判断をした。8年前なら逆の判断をしていただろうと思う。それが正しかったかどうか今は不明だかメモとして投稿。」

と、先週の日曜の夜、FBの親しい友人に限定して投稿し、想定通り肯定的な意見をもらう事ができました。


その時点では、正しいと思いつつも疾しさ、罪悪感、不安感があったのも事実でそれを和らげたい心理だったと思います。


ちなみに8年前というのは母親が他界したタイミングです。危篤の状態で約1週間看病をしたが、それが家族、肉親、人生について十分に考える時間となりました。


それまで、仕事一辺倒だった(仕事ができたかどうかは別)考えを変え、家族、趣味、友人との交流の比重を高めました。それは時間を多く割くという意味だけではなく気持ちの持ち方もあります。もちろん人生の多くの時間を費やす仕事においても自分にとってどのような意味があるのか、を考えるようになったのはその頃です。


といいつつ、今日は土曜ですが、今から出勤なのであります。まあエンジニアが頑張ってくれているので私も少しでも役に立てればという思いもあります。


以上 記録として徒然なるままに


2015年4月24日金曜日

本日、私が名実ともに営業のプロと尊敬する方の「職人として生きる営業」と題したスピーチをお聴きしました。
メモを見て今更ながら気付いたのは、いわゆるB2CよりB2Bの方がよりパーソナルなのだという事、一流の営業になるためには努力と科学的アプローチが求められる技術職的側面が強いという事でした。
異論反論があるかもしれませんが、個人、組織長として揺るぎない実績を持つ方の言葉には含蓄があり説得力がありました。すっかり放置していたブログサイトに備忘録として残しておきます。


 (メモ) 

✳︎なぜ営業が必要か?  

売る側に理想の状態とは?
・良品は言葉なくして客を呼ぶ。
・お客の欲しいものを売る。

実態は? 
そんな状態を実現できる会社は存在せず、ギャップを埋めるために営業は必要悪として存在する。またプロアクティブに、売り手が売りたいものを売る、潜在需要を喚起する、そのためには売り手が惚れる、必要がある。 

✳︎「顧客」は「会社」ではない、そこに存在する「人」そのもの。
人の「名前」の出てこない案件は営業活動がなされていない。
人間は感性の動物。合理性、論理性を追求した理屈だけの説得は十分条件ではない。
世代、責任者が変わるとその会社の意思決定が変わる事が見られるのはそのため。 

✳︎営業に必要な要素は知識、技術、資質。 

・「知識」は覚えられる。
 ITなどでは新しいものが出てくるため若い人が必ずしも不利だとは言えない。仮想敵国を設定する、ランチェスター戦略を駆使し必要な知識を絞り明確にする。

・技術習得に王道はない。
3〜4年の短期間で人より繰り返し経験する努力が必要。
特に顧客の 意 思決定の場面に人より多く立ち会う事に感覚を鍛える価値がある。 

・資質。
諦める人が多いが性格は変えられないが態度は変えられる。 

✳︎ご経験からのTIPS 

・大口案件は顧客が意思決定するために押さえるポイントが数多くあり消去法アプローチ。

・小口案件はそれが少ないので早いうちに「注文を下さい」という事で買わない理由を聞き出すテクニックも有効。 

・見込み顧客とタダのお客を見極める事は当人には難しい。買わない、買えない顧客の方がアポも取れるし話も聞いてくれる傾向。客観的にみて判断するのもマネージャーの役割。

などなど



2013年7月22日月曜日

震災ボランティア活動に参加して思うこと(2012年5月頃の文章)


東日本大震災ボランティアについて思うこと と題して1年以上前に書いて投稿するのを忘れていたブログ原稿を見つけました。帰り道のバスで書いていたので乱筆乱文否めませんのとその後、知識が増えたことでご認識だとわかることもあります。ただ、逆に感じたままの偽らざる気持ちが表現されている気がするため、一切の手直しなしで掲載しておこうとおもいます。まさに随想録。


(帰りのバスでのメモ)

 先週、某ボランティア基地を経由し釜石の被災現場にて作業した経験から、知りえたこと、感じたことを忘れないうちに帰りのバスの中で文章にしておきたいと思います。なお、参加以前の震災復興に関する知識、関与度の低さにより、一部の私の認識が実態と異なる可能性がある点、また未だ危険区域として立ち入りが制限されている原発に隣接する福島県についてはここでは言及していない点、の2点を最初にコメントしておきたいと思います。

 まず、初日に感じたこととして、地震や津波で破壊された住宅、インフラの復旧のための直接的な労働力の需要はかなり減ってきているということです。
 
 と言うのも今回我々が訪問した釜石の現場への移動中に旧市街地、住宅地の状況を見る機会がありましたが、多くは更地や土台だけになり、瓦礫は集積所に置かれ他府県からの引取りを待つ状態になっていたからです。また実際に今回我々が担当した瓦礫撤去作業も畑を再生するためのものでしたし、その他の仕事を見ても個人宅からの要請による小規模なものや被災者への精神的ケアなど個人に対する貢献にシフトしているように見えました。

 それが正しいとした場合、肉体労働系需要(ハード系?)に関していうと、行政で対応される部分と資金を払って個人で対応する部分に分けられ、後者を実施する資金力の無い弱者へのパーソナル化した支援の方向で、周知方法を含め工夫できると思ったりしました。

また、上記ハード系よりずっと長い期間(10年以上)必要になるはずの、ソフト系(精神面、専門スキル支援)は、資格の有無、長期滞在など一般のボランティアで賄うのが困難であることから、行う人への資金的援助や、中長期的には会社が専門性の高い人たちを集めた募集と一部教育を行っても良いかもしれません。
 いずれにしても、風化させるには早すぎるし、そうしない為の努力が必要ですから、微力ながら貢献していきたい。また、上記両方とも利用する被災者に分かり易く使い方が周知されているかという点で工夫と努力が必要で、そこがキーになると思います。

 もちろん私が見たのは非常に部分的、断片的なものであり、まだまだ家屋の撤去や公共施設の復旧が必要な地域も有るのかもしれません。ただメディアによる復旧完了、復興へという主旨の報道と符号するようにも思えますし、仮にそうではなくまだまだ建築物の瓦礫の撤去の需要があったとしても、作業効率からみて土木業者が重機を用いて行ったほうがよさそうですから、無理なく無駄なくボランティアするためには、工夫がいると思います。

念のため、1点重要な補足しますと、当初行政が十分に機能しておらず、重機、人員も大幅に不足する中、専門化も含むボランティアが、それを補うどころか積極的に推進したことに大きな価値や意義があったことは言うまでもありません。

その一方、事実として被災地域の瓦礫集積上には引き取り手のない瓦礫が山積し、高齢化が進む住宅街には、この先の資金的な目処や希望を見出せないままに来年初頭までといわれる仮設住宅にお住まいの多くの方、しかも多くの高齢者がいらっしゃるという状況があります。つまり元の安心した生活レベルと取り戻すという真の意味での復興(実は復旧といっても良いとおもいます)には程遠い状態であり、この先も行政だけでは恐らくカバーしきれない、また資金の問題で個人的に対処したくても出来ないケースが出てきているのは想像に難くありません。
そういったことから、震災後1年を経過し、ボランティア活動の転機が訪れているように感じられました。
仮説の域をでませんが、この先数年間のスパンで被災地に入る直接的なボランティア活動が必要とされているはずだが復興の各フェーズにおいて支援内容が変化していく。しかしながら現時点ではボランティア団体もその需要の変化に完全に対応しきれていない。また、参加者も震災直後のイメージのまま現地に入り、ある意味期待値と異なる作業を担当する、というケースも少なくないのではないかというものです。

震災直後から自分の生活すべてボランティア活動につぎ込んでいる人、働きながら現地に赴く人、それを支える被災地周辺の住民の皆様、それぞれの立場で真摯な気持ちで地域のためになりたい、被災者を助けたいと考えていることは明白であり、課題はその時間、労力をどうすればできるだけ、本当に必要な作業に向けることができるのかという事だと思います。また一部のメディアの偏った報道などにより、東日本大震災が過去のものと認識されてしまう事を今回直接的にボランティアに参加したメンバーが、継続的支援の必要性、また復興に必要な対応を経験から想像し、それを周りに広め続ける事が重要になると思います。阪神大震災をみても復興にはこの先さらに数年~10年以上の期間が必要なのは明白です。

さて、最後に自分自身が何をできるか考えてみました。まず一部のボランティアの方のように当活動を最優先にする事ができないという制約があります。これは私に限らず多くの方々も同様だとおもいます。当然それが非難されるべきものではないと思います。


(恐らくその翌週に、別の機会に纏めとして書いたもの)


 あくまで、私が断片的、部分的な経験からであるが、ボランティア団体の方や参加者は、純粋に、どうすれば復興に貢献できるか、現地を見ることでより理解を深めたいといった真摯な気持ちを持っているように感じられた。私は、事前に一部マスコミ、WEB情報での穿った見方を見聞きしていたが、それら恣意的な情報は鵜呑みにしないほうがよさそう。

その一方ボランティアに求められる活動が震災直後から1年余り経過し変化を迎えており過渡期だと思う言い換えると被災者からの需要とボランティアからの供給する内容スキルマインドに一部GAPを随所に感じたボランティア基地での募集内容に無理やり感のあるものが含まれていた市街地住宅地の瓦礫撤去はほぼ完了 etc.

①ボランティア団体で長期間従事している人、②短期的、非定期的に参加する人、③被災地にあり直接的被害を免れた方、がそれぞれの立場を認識し連携することで、より質の高いボランティア活動が可能になると思う。(大前提として行政/一般事業者とのすみわけの課題もあるが)

自身は今回②として、完全に受身で参加した点を反省。次回からは、ニーズに即したボランティア内容を選ぶ、団体に対し、HPとしてニーズに関する意見交換をする、震災が非被災地において風化しないよう啓蒙するなど、今後に向けた貢献ができそう。

肉体労働系需要(ハード系?)に関していうと、行政で対応される部分、資金を払って個人で対応する部分に分けられ、後者を実施する資金力の無い弱者へのパーソナル化した支援の方向で、周知方法を含め工夫できるとおもう。ボランティア利用法が利用者に分かり易く周知されているかどうかがカギになると思う。

今後、10年以上必要になるはずの、精神面、専門スキル支援(ソフト系は、資格の有無、長期滞在など一般のボランティアで賄うのが困難であることから、行う人への資金的援助や、中長期的には会社が専門性の高い人たちを集めた募集と一部教育を行っても良いかもしれない。いずれにしても、風化させるには早すぎるし、そうしない為の努力が必要。微力ながら貢献していきたい。

悲観的になる理由を探す人たち


失敗に繋がる理由を常に探し、見つけると世の中が終わってしまうかのような悲観的発言をする人がいます。ただそれは往々にして視点を変えれば簡単に解決する事に見えるのです。

 今日遭遇した件を含め、数回の事例を想いだし,その共通ポイントを分析してみると、失敗をしそうな状況に追い込まれ自身喪失しそうな自分がいるその一方で失敗をすること自体を受け入れたくないプライドの高い自分がいる、ただ時間とともに失敗が誰の目にも明らかになってしまう状況に追い込まれた場合の反応だといえそうです。

 そう考えると、その条件、つまりある程度の判断力に繋がる経験と成功体験を持つ人というのはある程度年齢の高いケースが多いというのもうなずけます。

 かく言う自分を省みると、レベル、頻度こそ異なれ、同様の負の思考スパイラルに陥っている事があるなと思います。

このような思考パターンをうまく解決し昇華するカウンセリングというか人心掌握術があれば、高年齢化する職場のハイパフォーマンス化に寄与するに違いないのですが人間そう単純ではないのでしょうかね。

 とつれずれなるままに記録しておきます。さて風呂入って寝よ。